筆 者はこれまで、キェルケゴール・北欧神話・ウプサラ学派の価値ニヒリスムの三者を主要な研究対象としてきたが、それを基盤としてさらに筆者の関心は、現代 世界の抱える緊急の思想的課題 - 宗教・医療・環境の問題 - を解決する方向を、北欧思想圏の哲学的思惟を通して探るという目論見へ進んでいった。そ して、極めて貧しい試論には留まるが、それぞれの対象・主題について研究成果を発表することができた。しかし、現在筆者の願望は、従来の考察を一層ラディ カルに深めるとともに、そこからさらに浮かび上がってくる北欧固有の諸問題に対して総合的な検討を加え、その成果を体系的に「北欧学」という新たな学問に 結実させたいという方向に向かっている。筆者に残された時間は多くはないが、それへの積極的な挑戦が、ライフワークの主たる部分を占めることになる。
この場では、筆者がこれまで上梓した著作と翻訳を、研究業績として紹介すると同時に、続いて筆者がそれぞれの機会に発表してきた比較的短い論考を用いて、 必ずしも全体が体系的に組織されているわけではないが、現在筆者の念頭にあるかぎりでの「北欧学」なるものの構想内容と、想定される具体的な主題につい て、述べてみたいと思う。

2008/01/01

[小さなエッセイ]北欧の街角でー二人の少女のこと

  所属機関から在外研究の機会を与えられて、19894月から9月までデンマークのコペンハーゲンに滞在し、さらに10月からはスウェーデンのウプサラに居を移して、年末までの三ヶ月をそこで過ごした。短期間ではあったが、コペンハーゲン大学キェルケゴール研究所とウプサラ大学哲学研究所の好意で、まずまずの成果を挙げることができたのは幸運であった。なおウプサラには予定では翌年3月まで留まるはずであったが、筆者が身元引受人となって入院させている叔母が危篤に陥り、病院の要請でやむなく帰国を早めることになった次第である。病人はそれから半年の闘病の後遠くへ旅立っていった。

  デンマークでは、ロンドンで発行されている朝日新聞国際版(当日の午後にはコペンハーゲンで発売される)の訃報欄を通して、親しいわけではなかったが出発前には元気だった同僚の死亡を知り、同年齢だっただけに、大きなショックを受けた。

  とはいえ、このような愕然とした悲しい思いの反面、ささやかながら、ある感動的な体験にも恵まれたことを報告しておきたいと思う。無論、小文に目を留めて下さる方は、当の感動のあまりに前学問的な幼稚さに苦笑されるであろうが、筆者自身にとつては忘れ難い体験となったので、これについて若干記してみたい。

  正確な日付は忘れてしまったが、筆者がコペンハーゲンに到着して一ヶ月ほど経った5月中旬であったと記憶する。丁度宮崎某の猟奇的な連続幼児殺害事件が日本中の関心を集めていた時期である。その日の朝、筆者も宿舎近くのバス停で、前日買った朝日新聞国際版のこの事件に関する記事を夢中で読み返していた。その時である。幼児特有のデンマーク語で[おじちゃん、ボール遊び知ってる?」、という何とも愛らしい小さな声が耳元で聞こえたのである。見れば、声の主はゴムボールを手にした、文字通り人形のような、むしろ人形そのものといってもよい、56歳の可憐な少女であった。新聞記事で、「常々知らない人とは口を利かないようにと言い聞かせていましたのに」、という保育園の先生の悲痛な言葉を読んだばかりの筆者が、まったく逆に見知らぬ少女から話しかけられた時のとんでもない狼狽と困惑をご想像戴けるであろうか。あたかも何か後暗いことをしでかして、咎められるのを恐れる者のごとく、思わず腰を浮かして辺りを見回し、一瞬逃げ出す格好になったのは、思い出すだに赤面の至りである。少女とはバスが来るまで数分間言葉を交わしたのは確かだが、何を話したかはまったく記憶にない。ただただしどろもどろに対応したのを覚えているだけである。

  やがてバスが来た。当然少女も同乗するものと思って乗車を促したが、彼女は腰を上げなかった。たまたまバス停に遊びにきていたに過ぎなかったのである。一瞬の興奮の余韻に浸りながらバスの座席からぼんやりと外を眺めていたとき、筆者は不覚にも目に涙の滲むのを抑えることができなかった。それは、祖国の新聞の奏でる人間と大人への抜き差しならぬ不信感とは逆に、年配の異相の外人に向かって、何ら躊躇することなく信頼に満ちて話しかけてくる少女の無邪気さ・純粋さへの感動からであった。       

  さらにこのささやかな体験の三ヶ月後の8月末、コペンハーゲンから電車で40分ほどの郊外へ出かけた帰りのことである。夜9時頃帰りの電車に乗るためにヴェドベクという田舎駅の待合室のドアを開けた途端、無人と思われた広く薄暗い奥の方から、「ヘルシンガー行き(下り) 何時何分、コペンハーゲン行き (上り)は何時何分よ、おじちゃんはどちらに乗るの?」、と尋ねながら話しかけてくる元気な声が聞こえてきたのである。前の経験があるので、さほど仰天はしなかったものの、それでもうす暗がりを通して見ると、いかにも薄着の11、2歳の女の子である。8月末とはいえ、夜ともなればデンマークのこの時節の気温は、日本の10月中旬の底冷えに近い。他の待合客もおらず、冷え冷えとした暗い構内の寂しさに耐えかねて話しかけてきたとは推測されたが、それにしても相手はどこの誰とも分からぬ外国人である。恥ずかしながら、少女の態度は日本人の筆者にはまったく想像の外としか言いようのないものであった。サッカーの試合で遅くなってしまったというこの少女とは30分以上も話したであろうか、驚くべきことに、その間少女が筆者に対して不信感はもとより、恐れ・警戒心を抱いている気配はまったく感じられなかった。それどころか、別れ際には、ポケットの小銭を見せながら、「おじちゃん、わたしこれしかお金持ってないから1クローネ(20円程度)頂戴」、とおねだりするほどの天真爛漫さであった。勉強よりサッカーが好きというこの少女に、「でも将来はしっかり勉強してコペンハーゲン大学に入るんだよ」と、何とも「日本的な」説教をした時の彼女の困惑した顔が、今更ながら慙愧の念とともに蘇るのである。                           

  デンマークで、性的ないたずらを目的とした子供の誘拐事件について見聞したことはなく、ましてそれが殺害にまで発展するといったことは論外であろう。少なくともこの国では子供の間に大人と人間への信頼は失われておらず、彼らの中には、皮膚の色など物ともしない逞しい[ヒューマニズム]が、幼児期から見事自然体として根付いていることを如実に証明してくれたのが二人の少女であった。

  もとより彼女たちをめぐる筆者の経験は、取り上げる要のない下らぬものではあるが、しかし「北欧的ヒューマニズム」の本質の何たるかを探.ることをライフワークとする筆者にとっては、実に貴重な指針と自信を与えてくれるものであった。今改めて二人の可愛い天使に感謝したいと思う。

   (明治大学政治経済学部資料センターニュース、No.4748合併号[1990.3]所収)